2008年10月02日 02:19
9月の30日の火曜日に、所用があって長岡京市へ行ってきました。
歴史に詳しい方なら、よくご存じだと思いますが、遠い昔、長岡京市にはごく短い間(約10年間ほどですが)”都”が置かれていました。
平安京、つまり京都に都が置かれる前は、この長岡京が日本の中心、”都”だったのです。
長岡京は784年(延暦3年)、桓武天皇(かんむてんのう)が平城京から遷都して造営された都でした。
ところが、遷都の翌年の785年、造長岡宮使という重職にあった藤原種継が何者かによって暗殺されてしまいます。
その藤原種継を暗殺したという疑いが、桓武天皇の皇太弟だった早良親王(さわらしんのう)にかけられてしまいます。そしてその咎により早良親王は淡路国へ流罪になってしまうのです。
早良親王は流刑地である淡路国への途上、無実を訴えるため食を断ち、無念のうちに河内国高瀬橋付近で亡くなってしまいます。
それから間もなく、桓武天皇(かんむてんのう)の長男、安殿親王(後の平城天皇)の突然の病や桓武天皇の妃、藤原乙牟漏の病死などが相次ぎました。
これらの不幸な出来事は、流罪の身となり深い恨みを抱いて亡くなった早良親王の祟りに違いない、早良親王の怨霊の仕業に違いないと恐れ、ささやかれるようになりました。
そんなこんなで、長岡京遷都のわずか10年後、794年(延暦13年)に都は平安京、つまり現在の京都に再遷都されるのです。
いずれにせよ、わずか10年間とはいえ、ここ長岡京は日本国の中心であったわけですね。
そのあたりの詳細については、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の長岡京のページをご覧ください。
長岡京市は、京都市に比べるとあまり注目されることのないところですが、歴史的にも貴重な名刹、古刹が多く点在し、乙訓(おとくに)の美しい竹林は知る人ぞ知る、おいしいタケノコの産地でもあります。
平安時代の作品”竹取物語(かぐやひめ)”のモデルは京都府長岡京市もしくは京都府八幡市のどちらかであるとも言われています。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
その帰りに、勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)に立ち寄ってみました。
地図で言うとここです。
大きな地図で見る

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)は、現在の京都府長岡京市にある、南北朝時代から江戸時代初期のお城で、お城の名前の”勝竜寺”は、同名の古刹に由来してよばれるようになりました。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
勝竜寺城は、京都盆地の南西部を防衛する要所という位置にあり、応仁・文明の乱では、畠山義就率いる西軍の拠点ともなりました。
戦国時代に入ると、永禄十一年(1568)に織田信長が上洛し、この地方一帯を攻略した際、その家臣だった細川藤孝がこの城の城主でした。
その後、天正十年(1582)六月の山崎合戦では、明智光秀がこの城を本拠としています。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
本能寺で主君、織田信長を討った明智光秀はこの勝竜寺城を出て、西方の御坊塚(境野古墳群)で合戦の指揮を取りましたが、敗れ、一度城へ戻ります。
その夜半、光秀は、密かに城の北門から出て、現在の大津市にある光秀の居城坂本城を目指して落ち延びてゆきます。
ところがその途上、現在の京都市伏見区にある、小栗栖(おぐるす、おぐりす)の藪(現在では”明智藪”と呼ばれています。私の自宅のすぐ近くです)で、土農の落ち武者狩りに遭い、その竹槍で命を落としたとも、辛くも逃れたものの、力尽き家臣の介錯により自刃したとも伝えられています。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
また、勝竜寺城は、山崎合戦の四年前の天正六年(1578)、光秀の娘・玉子(のちの洗礼名、細川ガラシャ)が、細川藤孝の長男忠興(十六歳)のもとに輿入れした城でもあります。
細川ガラシャ(明智玉子)は、明智光秀の三女で細川忠興の正室、キリスト教信徒(キリシタン)としても有名ですね。
近くには、この細川ガラシャにちなんだ、”ガラシャ通り”という通りもあります。
細川ガラシャについての詳細は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の”細川ガラシャのページ”をご覧ください。
ずいぶん、勝竜寺城にまつわる話が長くなってしまいました。これではまるで、京都歴史探訪ブログですね。
そろそろ、話を野花に戻しましょう。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
勝竜寺城の広い敷地のなかに赤紫がかった花色の野花を見つけました。
アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)です。
先日ご覧いただいたネコハギ(猫萩) ”ネコハギ(猫萩) … 伏見の森の傍らで ”と属は違いますが、同じ仲間の、マメ科ヌスビトハギ属の多年草です。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
もともとは北アメリカ原産の帰化植物で、大きいものでは背丈が1m近くにもなります。先日の”ネコハギ(猫萩)”が横に這うように茎を伸ばすのに対して、上へ上へと茎を伸ばしてゆきます。
早いものでは7月頃から9月、10月にかけてご覧のように、淡い紅色や赤紫色の花を咲かせます。
葉の特徴は、やはり”ネコハギ(猫萩)”と同じ、3枚の小葉を持つ、3出複葉ですが、”ネコハギ(猫萩)”よりも葉の形が細く長いところが違います。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
アレチ(荒れ地)”ヌスビト(盗人)”ハギ(萩)という名前の由来ですが、花の形を見ると、まるで”ほっかむりをしたどろぼうさん”のようにみえますでしょ?
それで、”ヌスビト(盗人)”なのかなと最初は思っていたのですが、調べてみると、ぜんぜん違いました。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
盗人(ぬすびと)が足音をたてないように,足の外側だけを使って,こっそり歩いたときの「足あと」の形に、実の形が似ていることからつけられた名前なのだそうです。
今日は、その実の形を写真に撮ることができませんでしたので、”野草を楽しむホームページのアレチヌスビトハギのページ”に掲載されている実の写真をご覧になってみてください。
私には、やっぱり”ほっかむりをしたどろぼうさん”のように見える、花の形の方がしっくり来るのですが……。
このアレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)も、いわゆる”ひっつき虫”のひとつです。 アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)の生育する草むらなどを歩くとズボンの裾に、かぎ状に曲がった毛が密生するこの実がくっついて、取るのにけっこう難儀してしまいます。
アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)マメ科ヌスビトハギ属の多年草 Desmodium paniculatum)
分 布 本州〜沖縄
生育地 道ばたや造成地などの荒れ地、草地
花 期 7月〜10月
花 色 淡い紅色、赤紫
キーワード検索、ネット検索には、カスタム検索ボックスをご利用ください。
掲載した野花の写真(画像)は、フリー素材として、ご自由にお使いください。写真(画像)を右クリック→”画像を保存”でお持ち帰りいただけます。その際、ご報告の必要はありません。
歴史に詳しい方なら、よくご存じだと思いますが、遠い昔、長岡京市にはごく短い間(約10年間ほどですが)”都”が置かれていました。
平安京、つまり京都に都が置かれる前は、この長岡京が日本の中心、”都”だったのです。
長岡京は784年(延暦3年)、桓武天皇(かんむてんのう)が平城京から遷都して造営された都でした。
ところが、遷都の翌年の785年、造長岡宮使という重職にあった藤原種継が何者かによって暗殺されてしまいます。
その藤原種継を暗殺したという疑いが、桓武天皇の皇太弟だった早良親王(さわらしんのう)にかけられてしまいます。そしてその咎により早良親王は淡路国へ流罪になってしまうのです。
早良親王は流刑地である淡路国への途上、無実を訴えるため食を断ち、無念のうちに河内国高瀬橋付近で亡くなってしまいます。
それから間もなく、桓武天皇(かんむてんのう)の長男、安殿親王(後の平城天皇)の突然の病や桓武天皇の妃、藤原乙牟漏の病死などが相次ぎました。
これらの不幸な出来事は、流罪の身となり深い恨みを抱いて亡くなった早良親王の祟りに違いない、早良親王の怨霊の仕業に違いないと恐れ、ささやかれるようになりました。
そんなこんなで、長岡京遷都のわずか10年後、794年(延暦13年)に都は平安京、つまり現在の京都に再遷都されるのです。
いずれにせよ、わずか10年間とはいえ、ここ長岡京は日本国の中心であったわけですね。
そのあたりの詳細については、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の長岡京のページをご覧ください。
長岡京市は、京都市に比べるとあまり注目されることのないところですが、歴史的にも貴重な名刹、古刹が多く点在し、乙訓(おとくに)の美しい竹林は知る人ぞ知る、おいしいタケノコの産地でもあります。
平安時代の作品”竹取物語(かぐやひめ)”のモデルは京都府長岡京市もしくは京都府八幡市のどちらかであるとも言われています。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
その帰りに、勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)に立ち寄ってみました。
地図で言うとここです。
大きな地図で見る

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)は、現在の京都府長岡京市にある、南北朝時代から江戸時代初期のお城で、お城の名前の”勝竜寺”は、同名の古刹に由来してよばれるようになりました。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
勝竜寺城は、京都盆地の南西部を防衛する要所という位置にあり、応仁・文明の乱では、畠山義就率いる西軍の拠点ともなりました。
戦国時代に入ると、永禄十一年(1568)に織田信長が上洛し、この地方一帯を攻略した際、その家臣だった細川藤孝がこの城の城主でした。
その後、天正十年(1582)六月の山崎合戦では、明智光秀がこの城を本拠としています。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
本能寺で主君、織田信長を討った明智光秀はこの勝竜寺城を出て、西方の御坊塚(境野古墳群)で合戦の指揮を取りましたが、敗れ、一度城へ戻ります。
その夜半、光秀は、密かに城の北門から出て、現在の大津市にある光秀の居城坂本城を目指して落ち延びてゆきます。
ところがその途上、現在の京都市伏見区にある、小栗栖(おぐるす、おぐりす)の藪(現在では”明智藪”と呼ばれています。私の自宅のすぐ近くです)で、土農の落ち武者狩りに遭い、その竹槍で命を落としたとも、辛くも逃れたものの、力尽き家臣の介錯により自刃したとも伝えられています。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
また、勝竜寺城は、山崎合戦の四年前の天正六年(1578)、光秀の娘・玉子(のちの洗礼名、細川ガラシャ)が、細川藤孝の長男忠興(十六歳)のもとに輿入れした城でもあります。
細川ガラシャ(明智玉子)は、明智光秀の三女で細川忠興の正室、キリスト教信徒(キリシタン)としても有名ですね。
近くには、この細川ガラシャにちなんだ、”ガラシャ通り”という通りもあります。
細川ガラシャについての詳細は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の”細川ガラシャのページ”をご覧ください。
ずいぶん、勝竜寺城にまつわる話が長くなってしまいました。これではまるで、京都歴史探訪ブログですね。
そろそろ、話を野花に戻しましょう。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
勝竜寺城の広い敷地のなかに赤紫がかった花色の野花を見つけました。
アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)です。
先日ご覧いただいたネコハギ(猫萩) ”ネコハギ(猫萩) … 伏見の森の傍らで ”と属は違いますが、同じ仲間の、マメ科ヌスビトハギ属の多年草です。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
もともとは北アメリカ原産の帰化植物で、大きいものでは背丈が1m近くにもなります。先日の”ネコハギ(猫萩)”が横に這うように茎を伸ばすのに対して、上へ上へと茎を伸ばしてゆきます。
早いものでは7月頃から9月、10月にかけてご覧のように、淡い紅色や赤紫色の花を咲かせます。
葉の特徴は、やはり”ネコハギ(猫萩)”と同じ、3枚の小葉を持つ、3出複葉ですが、”ネコハギ(猫萩)”よりも葉の形が細く長いところが違います。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
アレチ(荒れ地)”ヌスビト(盗人)”ハギ(萩)という名前の由来ですが、花の形を見ると、まるで”ほっかむりをしたどろぼうさん”のようにみえますでしょ?
それで、”ヌスビト(盗人)”なのかなと最初は思っていたのですが、調べてみると、ぜんぜん違いました。

写真の撮影地 京都府長岡京市勝竜寺(写真をクリックすると大きな画像でご覧頂けます)
盗人(ぬすびと)が足音をたてないように,足の外側だけを使って,こっそり歩いたときの「足あと」の形に、実の形が似ていることからつけられた名前なのだそうです。
今日は、その実の形を写真に撮ることができませんでしたので、”野草を楽しむホームページのアレチヌスビトハギのページ”に掲載されている実の写真をご覧になってみてください。
私には、やっぱり”ほっかむりをしたどろぼうさん”のように見える、花の形の方がしっくり来るのですが……。
このアレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)も、いわゆる”ひっつき虫”のひとつです。 アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)の生育する草むらなどを歩くとズボンの裾に、かぎ状に曲がった毛が密生するこの実がくっついて、取るのにけっこう難儀してしまいます。
アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)マメ科ヌスビトハギ属の多年草 Desmodium paniculatum)
分 布 本州〜沖縄
生育地 道ばたや造成地などの荒れ地、草地
花 期 7月〜10月
花 色 淡い紅色、赤紫
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カスタム検索
掲載した野花の写真(画像)は、フリー素材として、ご自由にお使いください。写真(画像)を右クリック→”画像を保存”でお持ち帰りいただけます。その際、ご報告の必要はありません。











コメント
りんがむ | URL | -
aioままさん、ようこそ、おこしやす。
ほんとは、簡潔で、きりっとした文章にしたいのですけれども、気がつくと長くなってしまいます。
夕べ書いたラブレターを翌朝読みかえして、”背筋が寒くなる”ようなものです。でも、UPしちゃったら仕方ないですし。
そうかとおもえば、会社では私の出す企画書は、”散文”だの、”絵はがき”だのとか言われています。記述が少なすぎて、何を言わんとしているのかさっぱりわからん、ということのようです。
ブログ以上に、わかりやすく書いてるつもりなんだけど……。
それはともかく、その企画書が、十分な理解も得られないまま通ってしまったりします。だから後が大変です。困ったものです。
まあ、うちのブログはこんなかんじ、と優しく受け止めてやってくださいね。
aioままさんの早朝の風景、拝見しました。
すてきな朝ですね。
やはり、”早起きは三文の得” 空気感が心地よいです。
楽しませていただきました。
昨年の記事ですが、私も、朝露に包まれながら爆睡中の蝶の写真を書いたことがあります。
よろしければ、見ていただけると嬉しかったりします。
http://linghum.blog119.fc2.com/blog-entry-27.html
いつもありがとうございます。
( 2008年10月04日 02:00 [編集] )
りんがむ | URL | -
さざなみさん、ようこそ。
うちのブログにありがちな、ヘンな名前の野の花シリーズ。
今回は”ヌスビト(盗人)”です。
ちなみに私の故郷、佐賀県の超ローカル言語、嬉野弁(うれしのべん)では、盗人=泥棒のことを、”ぬすどいん”といいます。
これは”ぬすっと+いぬ(盗人+犬)”が訛って、”ぬすどいん”に転化した言葉で、これを言われると人間としてかなり恥ずかしい事です。
たとえば、よそのおうちの畑の作物をこっそりいただいたりすると、吐き捨てるように、こんな言われ方をします。
お百姓さんにとって汗水垂らして丹精した畑の作物を盗むのは人間以下、ということですね。(犬にはちょっと気の毒ですが)
なんか、また話がヨタってきました。私も”方向音痴”なのかもしれません。(きっとそうです、はい)
アレチヌスビトハギ、”ほっかむり”してるでしょ? そう見えません?
とにもかくにも、アレチヌスビトハギの名前と姿、さざなみさんの印象に残せたかな……。
もしそうなら、大成功です。
どこかで見かけたら、思い出してやってくださいね。
( 2008年10月04日 01:17 [編集] )
aioまま | URL | -
Re: 勝竜寺城にまつわるお話、それから、アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)
こんばんは〜
りんがむさんのブログは本当に読み応えがありますね。
京都歴史探訪ブログですか。
いろいろと勉強になりました。
アレチヌスビトハギ 名前に似合わず可愛らしい花ですね。
( 2008年10月03日 21:37 [編集] )
さざなみ | URL | LtMzB4og
Re: 勝竜寺城にまつわるお話、それから、アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)
~( ´∀`)ノ☆ おはよぉ♪
これはまたなんてネーミング!と思ったけど、りんがむさんの記事を読み進めるにつれて、(*゜.゜)ホ・(*゜。゜)ホーーッ!! と納得(笑)。
そう思って拝見すると、可憐と思ってたお花はちょっと微笑ましい。
それにしても、ほっかむりって(笑)。
( 2008年10月03日 08:25 [編集] )
りんがむ | URL | -
popoさん、いつも応援ありがとね。
popoさん、こんばんは。
近頃脱線の度合いが激しくて、野花のブログなのか、観光名所ブログなのか、歴史探訪ブログなのかはっきりしろ! とか言われそうで、ちょっとびびってます。
とはいえ、楽しんでいただけるなら、それがなによりですし。
popoさんのブログの”酔芙蓉”拝見しました。
大人っぽい美しさを感じるすてきなお写真でした。
楽しませていただきました。
お互いそれぞれの持ち味や個性というものがあって、真似したくてもできない部分というものがあります。
私にはpopoさんの女として、母としての優しいまなざしで捉えた、たおやかな写真は、真似したくても逆立ちしても、仏門に入って滝に打たれて修行したって無理です。
でも、それぞれの”個性”ある写真を手がかりにしてやりとりできるって、すてきなことですね。
おたがい、撮りたいもの撮りたいように撮る。
これでいきましょう。
これからもどうぞ、よろしくおねがいしますね。
( 2008年10月03日 01:20 [編集] )
りんがむ | URL | -
ちびたさん、ようこそおこしやす!
ちびたさん、こんばんは。
創建は南北朝時代と恐ろしく古い時代の勝竜寺城ですが、現在は手入れの行き届いた公園となっています。
本丸も、お城のような外観ですが、内部は資料館になっていて、すべて鉄筋コンクリート製です。
往事を偲ばせるものといえば、すぐ近くの神足神社(こうたりじんじゃ)に残るお堀と土塁のみ。
数多くのドラマチックな歴史の舞台となったこの勝竜寺城も、今では落ち着いた静かな公園として、ご近所の方たちの憩いの場となっています。
そのあたりのしっとりとした雰囲気を感じていただけたのでしたら、ほんとに嬉しい限りです。
ありがとうございます。
ちびたさんのブログの、ツユクサとキバナコスモスやヒガンバナのコラボ、拝見しました。
思いがけない美しさを教えていただいたような思いです。
楽しませていただきました。
ありがとうございます。
( 2008年10月03日 00:26 [編集] )
popo | URL | -
Re: 勝竜寺城にまつわるお話、それから、アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)
こんばんは〜りんさん!

今日は何だか遠くに連れていって頂いたようです〜(笑)
長岡京市も初めてですし、勝竜寺城も綺麗です。
周りの景色もゆったりとしていますね〜。風景も撮るのが上手です!!
今日は歴史のお話で終わるのかと思ったら・・・
ワーイ!待ってました〜!!
可愛いアレチヌスビトハギ登場でした〜♪
こんな萩もあるの?と一瞬びっくりしまいましたょ〜
名前がひょうきんです♪
1枚目のお写真が特に可愛らしくていただきますね〜m(._.*)mペコッ
萩を先日撮りましたが、なかなか花の形がわかりにくいです。
でもりんさんのは、よくわかりますょ〜♪いいなぁ〜
こんなふうに撮ってもらえれば、アレチヌスビトハギも
大喜びしますょ!!
楽しい外出に連れていって頂き、m(._.)mアリガト
( 2008年10月03日 00:23 [編集] )
ちびた | URL | tHX44QXM
Re: 勝竜寺城にまつわるお話、それから、アレチヌスビトハギ(荒地盗人萩)
こんにちは
勝竜寺城の写真はなかなかしっとりとした色合いで
落ち着いた気分になります。
お寺なんだかお城なんだか、どっちにも見えるような
気がしました。
南北朝時代からのお城ということで、たくさんの
城主の生き様を見てきたお城なんですね。
( 2008年10月02日 17:18 [編集] )
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