2010年09月06日 00:32
9月に入っても、日中は相変わらず猛暑が続いていますが、いつのまにか育った稲穂が、早朝の水田をわたる風に揺れています。

写真の撮影地 京都市伏見区日野 (稲穂の写真をクリックすると大きな写真でご覧頂けます)
季節は確実に、夏から秋へと変わろうとしています。そして、まだ若い緑の稲穂が揺れるその水田のまわりには、くすんだような白いちいさな花がぽつり、ぽつりと咲いています。

写真の撮影地 京都市伏見区日野 (タカサブロウ(高三郎)の写真をクリックすると大きな写真でご覧頂けます)
タカサブロウ(高三郎)です。
タカサブロウ(高三郎)は、日本中の水田近くでごくふつうに見ることができるキク科タカサブロウ属の一年草で、一説によれば稲作が伝わった頃に日本にやってきた植物なのだそうです。
日本で稲作が始まったのは、今からおよそ3,000年前の縄文時代後期なのだとか。
へそ曲がりの私は、つい、”なんで、そんな昔のことがわかんねん、見たんか?”と、つい考えてしまいますが、そのことを示す水田の跡や火事などで焼け焦げた米の化石(炭化米)が、北九州をはじめ西日本各地の縄文時代の地層から見つかっているそうですから、たぶん間違いないことなのでしょう。
そもそも稲作の技術は、お隣の中国四千年の歴史のなかで生み出されたものですから、稲作の技術と知識を身につけた中国の方たちが、稲作を伝えるために持ってきた種籾のなかに、きっとタカサブロウの種も混じっていたりしたのかもしれませんね。
そんなことから、タカサブロウは、”史前帰化植物”と呼ばれています。有史以前に日本にやってきた植物というわけです。
今から3000年以上も前から日本にいる植物。すごいですね。妄想好きの私は、いろんなことを考えます。
たとえば、縄文時代からずっと後の弥生時代。その頃に生きていた人たちのなかには、きっと稲穂が揺れる日溜まりのなかでちいさく咲いているタカサブロウの花を見た人もいたんだろうな。

写真の撮影地 京都市伏見区日野 (タカサブロウ(高三郎)の写真をクリックすると大きな写真でご覧頂けます)
何を思ったのかな。どんな生活をしていたのかな。男の人かな、それとも女の人かな。きっとちいさな子供もいたんだろうな。
そのときの風はどんな匂いがしていたんだろう。肌に感じる陽射しは? 空の色は? 雲の形は? どんな音がその耳に聞こえていたんだろう どんな言葉を話して、どんな夢を持っていたんだろう。
そして、思うのです。
”タカサブロウ”という名前をつけた人はいつの時代に生きていた、どんな人なんだろう。何を思って”タカサブロウ”なんて名前をつけたんだろう、ってね。

写真の撮影地 京都市伏見区日野 (タカサブロウ(高三郎)の写真をクリックすると大きな写真でご覧頂けます)
一説には、遠い昔、皮膚のだだれなどのことを”タタラビ”と呼び、そのただれに効能がある薬草として知られていた”タタラビソウ”が、現在のタカサブロウの名前の由来ではないか、という考え方があります。
”タタラビソウ”と”タカサブロウ” 確かに語感は似ています。でも、しっくりこない。
”タカサブロウ(高三郎)”という不思議な名前の由来は、今でも長い歴史のなかに埋もれたままです。
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写真の撮影地 京都市伏見区日野 (稲穂の写真をクリックすると大きな写真でご覧頂けます)
季節は確実に、夏から秋へと変わろうとしています。そして、まだ若い緑の稲穂が揺れるその水田のまわりには、くすんだような白いちいさな花がぽつり、ぽつりと咲いています。

写真の撮影地 京都市伏見区日野 (タカサブロウ(高三郎)の写真をクリックすると大きな写真でご覧頂けます)
タカサブロウ(高三郎)です。
タカサブロウ(高三郎)は、日本中の水田近くでごくふつうに見ることができるキク科タカサブロウ属の一年草で、一説によれば稲作が伝わった頃に日本にやってきた植物なのだそうです。
日本で稲作が始まったのは、今からおよそ3,000年前の縄文時代後期なのだとか。
へそ曲がりの私は、つい、”なんで、そんな昔のことがわかんねん、見たんか?”と、つい考えてしまいますが、そのことを示す水田の跡や火事などで焼け焦げた米の化石(炭化米)が、北九州をはじめ西日本各地の縄文時代の地層から見つかっているそうですから、たぶん間違いないことなのでしょう。
そもそも稲作の技術は、お隣の中国四千年の歴史のなかで生み出されたものですから、稲作の技術と知識を身につけた中国の方たちが、稲作を伝えるために持ってきた種籾のなかに、きっとタカサブロウの種も混じっていたりしたのかもしれませんね。
そんなことから、タカサブロウは、”史前帰化植物”と呼ばれています。有史以前に日本にやってきた植物というわけです。
今から3000年以上も前から日本にいる植物。すごいですね。妄想好きの私は、いろんなことを考えます。
たとえば、縄文時代からずっと後の弥生時代。その頃に生きていた人たちのなかには、きっと稲穂が揺れる日溜まりのなかでちいさく咲いているタカサブロウの花を見た人もいたんだろうな。

写真の撮影地 京都市伏見区日野 (タカサブロウ(高三郎)の写真をクリックすると大きな写真でご覧頂けます)
何を思ったのかな。どんな生活をしていたのかな。男の人かな、それとも女の人かな。きっとちいさな子供もいたんだろうな。
そのときの風はどんな匂いがしていたんだろう。肌に感じる陽射しは? 空の色は? 雲の形は? どんな音がその耳に聞こえていたんだろう どんな言葉を話して、どんな夢を持っていたんだろう。
そして、思うのです。
”タカサブロウ”という名前をつけた人はいつの時代に生きていた、どんな人なんだろう。何を思って”タカサブロウ”なんて名前をつけたんだろう、ってね。

写真の撮影地 京都市伏見区日野 (タカサブロウ(高三郎)の写真をクリックすると大きな写真でご覧頂けます)
一説には、遠い昔、皮膚のだだれなどのことを”タタラビ”と呼び、そのただれに効能がある薬草として知られていた”タタラビソウ”が、現在のタカサブロウの名前の由来ではないか、という考え方があります。
”タタラビソウ”と”タカサブロウ” 確かに語感は似ています。でも、しっくりこない。
”タカサブロウ(高三郎)”という不思議な名前の由来は、今でも長い歴史のなかに埋もれたままです。
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コメント
popoさん、ようこそいらっしゃいませ。 | URL | Gp06xE7A
気に入っていただけました?
popoさん、こんばんは。
タカサブロウは、遠目に見ると、とても地味な草花ですが、
写真に撮ると、とてもいい表情をしていますよね。
3枚目の写真、
気に入っていただけてとても嬉しく思っています。
風に揺れる稲穂の間からこぼれる光と、
にこにこ笑っているような
タカサブロウの表情に惹かれて撮ってみました。
もうしばらく暑い日が続きそうです。
お体にはくれぐれも気をつけてくださいね。
無理しちゃ、だめですよ。
それでは、また。
ありがとうございました。
( 2010年09月07日 01:45 [編集] )
popo | URL | DMUUwyv6
Re: タカサブロウ(高三郎)と名前の由来
りんさんよく撮りに行かれましたね~最高気温昨夜みて驚きましたw(゚o゚)w
そうなのね~水田の周りにあるのね~タカサブロウくん(笑)
素朴な中央のシベの様子がとても好きです。
3枚目のお写真凄く好きです!
温かみのあるタカサブロウでずっと見ていたくなります♪
歴史があるんですね~
その頃からきっと毎年咲いてくれていたんですね~^^
その時代のことをこうやって想像してみるのって素敵ですね。
今日も素敵写真ヽ(*´∀')ノ【゚・*:.。. ☆ぁりがとぅ☆.。.:*・゜】ヽ(*´∀')ノ
( 2010年09月06日 07:37 [編集] )
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